「なんでもいい」ってラクだけど

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「決める」ことのむずかしさ

 

「なにをするにも『なんでもいいよー』という人にうんざりしています。」

 

ある時ネットでこんなお悩みが目にとまりました。

 

あー自分もそんなふうに感じたことあるなあーと思いました。

 

それじゃあ自分はどうかと言われると

 

自分自身もなかなか決められないことってあるなと←

 

 

「決める」ってなかなか勇気がいります。

 

決めることによって、なにかしら責任が生まれる気がするから。

 

相手の「何食べる?自分は何でもいいけど」に「私は〇〇がいいな」と言って

いざそのお店がイマイチだったりしたとき、なんかごめんねみたいになる。

「なんでもいい」と乗っかった方は何も負わない気がする。

なんかちょっとずるい気がする!(笑)

 

 

特に、関わる人が多ければ多いほど、「決める」がさらに難しいですよね。

関わる全員が100パーセント良いと思う決定なんて、めったに無さそうです。

 

でも、本当に大事なポイントでは自分で「決める」ことが必要だと思います。

 

「何を食べるか」なんていうのはまだいいとして、

「〇〇ちゃんが〇〇学校を目指すから私もそうする」

「親が言うからその職業につく」

 

みたいなのはまずいと感じます。

 

なぜなら、その物事が大きなものであるほど、それがうまくいかなかったときに

「〇〇のせい」になるからです。

「親が言ったから。」

「友達がそうしてるから。」

「世間的に良いとされてるから。」

 

自分の決定権を他人がもっている感じです。

 

自分で決めていれば、それがどうなろうと自己責任です。

 

自分にとって少し大きなことになるとなかなか自分で決められない

という経験は私にもありますし、

今も「決める」のは苦手分野なので、自分自身に刺さる内容です。

 

教育現場でも、自分で決めるのが苦手な子は結構いました。

複数の選択肢から一つ選んで手を挙げる なんてときには、

周りの挙げ具合を見てから挙げる子は多いです。

 

でも、学校の生活の中では自分で決めるという場面が少ないので、仕方がないと思う面もあります。

 

大事な場面で「自分で決める」ことができるように、

小さなことから「自分で決める」ことを意識的に積み重ねていく必要があると思います。

 

それこそ

飲食店に入って何を食べるか、どんな服を着るか、時間をどんなふうに使うか

というところから。

 

「自分で決める」経験を繰り返すことで、自分で決めることに自信がもてるのではないかと思っています。

 

その経験の積み重ねが、本当に大事な時に生きてくるのではないかとも。

 

他人に決めてもらうのは楽だし、私もそういうことは多かった(今もある笑)ですが、

やはり自分の決定権は自分で持っていたいので、

「自分で決める」を日々心掛けたいです。

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